僕たちの熱き闘い


 事の起こりは単なる昔話だったんだ。

 その日も僕らはフジミの帰りにモーツアルトに寄って、ニコちゃんのコーヒーと他愛無いお喋りを楽しんでいた。メンバーは川島さん、春山さん、五十嵐と僕らの5人で、圭も僕もとてもリラックスしていた。だって、ほら、全員が僕らのことを知っている人たちだから、神経を張りつめていなくてもいいだろう? その所為か、いつもなら音楽談義に終始することが多いのに、それ以外の趣味のこととか、家族のこととか、話題がいろんな方向に流れて。で、春山さんの妹の美幸ちゃんが、最近ペットを育てるゲームに夢中で困っているという話になったんだ。

「あれって爆発的に流行って、今も根強い人気があるっすよね?癒されるとかって…。な〜んか可愛いっすね!」
 五十嵐がにっこりと笑って言った。
 おいおい、その《可愛い》はゲームの内容じゃなくて、美幸ちゃんのことだな? 鼻の下が伸びてて……笑えるぞ、五十嵐。
「そうそう。メールソフトにだってあるでしょう?」
「へ〜、あれかねぇ。マンション暮らしでペットが飼えない人が増えているから、そんなゲームが流行るんだろうかねぇ?」
 ニコちゃんが流石に驚いたらしく、カウンターの中からテーブル席の僕らの話に口を挟んできた。
「そうかも知れないっすね。決まった時間にエサあげたり、散歩に連れて行ったり、遊んでやったり。ホントに飼ってるみたいに結構手間かかるっすよ」
「ちゃんと世話してやらないと死んじゃったりするんでしょう?」
「そうなんですぅ。だから毎日毎日テレビ取られちゃってー」
 春山さんが心底困っているという顔で頷きながら力説した。家族のものとは別に姉妹専用にしているもう一台のテレビを美幸ちゃんが独占してしまうのが、どうやら悩みのタネのようだ。
「僕らの子供の頃はそんなゲーム無かったよね?アクションものとか対戦するヤツとかが多かったじゃないか?」
「あっ、もしかして、マリオとかっすか!?」
「うん。あれは凄い人気だったよねー。僕はどっちかって言うとパズルものが好きだったけど」
「落ちゲーっすか?」
「そんな呼び方をするのかい?同じ色のブロックを3個並べたら消えるとか、そういうヤツ」
「そうっす! で、フィールドが埋まったらゲームオーバーってヤツっしょ?」
「うんうん、それそれ! 最後の方はパニックになっちゃうんだけどさ。結構面白かったよね」
 みんな一度は遊んだことがあるらしい。僕と五十嵐の会話を懐かしそうに頷きながら聞いていたんだけれど。
「きみもゲームで遊んだのですか?」
 それまで聞き役に徹していた圭の静かな声が響いて、僕は「しまった!」と思った。つい話に夢中になって、圭のことを考える余裕をなくしていた。僕らはみんな似たような年齢で、多分似たような子供時代を送っているけど、圭だけは……。あの家であの子供時代を過ごした圭には、きっとそんな経験はなかっただろうから。
「うん、少しだけね。ほら、友達との付き合いってヤツでさ。ヴァイオリンを始めてからはそっちに夢中になっちゃったから殆どやらなかったけど」
 言葉を選んで返事をしたつもりだけれど。しょんぼりするか、それとも拗ねるんじゃないかと内心ビクビクしながら、僕は圭の顔を見た。でも圭の返事は、僕だけじゃなくみんなをびっくりさせる、とても意外なものだったんだ。
「そうですか……。僕もやってみたいです」
「コン、マジっすか!?」
「桐ノ院さんが……? ゲーム……!?」
「え〜?なんかぁ、イメージが〜」
「け……桐ノ院、きみ、本気かい!?」
「はい。きみも経験したゲームというものを、僕も是非経験したい」
 はぁ〜〜っと幾人ものため息が重なる中、五十嵐が―――その後の僕らの生活を決定付けるような、とんでもない提案をしてくれたのだった。
「俺、持ってるっす。ゲーム機とソフト、セットでお貸ししまっすよ!」



 かくして次の練習日、僕らの家に、五十嵐が今は使っていないというゲーム機がやってきた。僕が子供の頃に遊んだ機種とは違うけれど、ソフトは同じ。昔のベストセラーを今の機械用のソフトにして売り出しているんだそうだ。モーツアルトにも寄らずに真っ直ぐ帰宅した僕たちは、早速それをテレビに繋いだ。五十嵐はコードなんかの付属品も付けて貸してくれて何も買わずに済んだのだが、本当はもっと大きな問題があったわけで―――実は僕らの家にはテレビがなかった。
 あの日の帰り道、僕がそのことを指摘すると、圭はあっさりと言ったもんだ。
「いい機会ですからテレビを買いましょう。あまりに浮世離れした生活をするのもどうかと思いますし」
「きみの経済観念の方が浮世離れしているんだよっ。ちっとも観ないテレビをゲームの為だけに買うなんてさ!」
「これから観ればいいでしょう?音楽番組もありますし、無駄ではありません。ああ、ビデオデッキも一緒に買えば、好きな時に好きな映画をきみとふたりっきりで観れますね」
 嬉しそうに笑った圭を見て悪い予感がしたのだけれど。僕の危惧したとおり今朝届いたテレビは薄型のびっくりするような大画面で、ついでに買ったというビデオデッキは、DVDもOKの最新式のヤツだった。


 ゲーム機をセットしている僕の横で、圭は真剣な顔つきで説明書を読んでいる。普通は遊びながら覚えていくものだけど、ICチップが埋め込んであるような記憶力抜群の頭だからなぁ。それよりも、床に胡坐をかいている譜読みの時と同じ姿勢だってことの方が、僕にはもっと笑えたんだけどさ。
「圭、触りながらの方がいいよ。思った通りに出来ないところが難しいんだからさ」
 経験者らしいアドバイスを贈りながらコントローラーを圭の手に載せてやり、ゲーム機のスイッチを入れた。軽快で賑やかな音楽と共に原色使いも目に鮮やかなオープニングが大画面いっぱいに広がる。圭は目を真ん丸くしてたけど、僕だって懐かしさも吹っ飛ぶぐらいに驚いた。
 ド迫力なんてもんじゃないよっ、この大きさはっ!

 圭は僕の進言に従ってひとり用の初心者向けステージで練習を始めた。赤青黄の3色のウイルスを、落ちてくるツートンカラーの薬のカプセルで消していくゲーム。同じ色を4個並べるというルールは単純だが、色を確認する、2色が上手くかみ合う場所を見つける、思った場所に置く、という幾つもの作業を瞬時に判断して処理していくのが難しい。スピードが上がってくると反射神経も必要だ。
 楽器の音を聞き分け、パートごとに違う指示を出し―――それを普段から難なくやってのける天才指揮者の圭だからすぐにコツを飲み込むだろうと思っていたのだが、ネックはそこじゃなかった。僕は、圭が一部のことを除いて致命的に手先が不器用だってことを忘れていたんだ。右手と左手に、同時に違う動きの仕事をさせるというのが出来ない。しかも、圭の大きな手にはコントローラーが小さすぎる。
「圭、手元を見てちゃダメだよ。画面を見なきゃ!」
「ああ!そんなに力を入れなくても……指先だけで。もっと軽くでいいんだから!」
 教えるつもりがつい興奮してしまった僕をムッとした顔で振り返ると、圭はヤケクソみたいに画面を注視し始めた。僕ってもしかしたら、教師には向いていないのかも知れない。
 ウキウキするようなゲーム特有の音楽、ピコピコ・ピュルルーと鳴る効果音、コミカルな動きのキャラクター、それを身を乗り出して射殺しそうな目で睨みつける美丈夫。こんなミスマッチにはちょっとやそっとではお目にかかれない!我慢できなくて声を殺して笑っていたら、切れ長の美しい目でギロリと睨まれた。
「そんなに言うなら……きみが手本を見せてください」
「うん、いいよ。でも僕だって久しぶりなんだから、手本になるかどうかは判らないよ?」
 初めて触るコントローラーは少し不安だったけど、思ったよりも早く慣れて、すぐに初心者用ステージでは物足りなくなった。子供の頃に苦労して身につけたことは、意外なほど身体が覚えているものだ。目で見たものを脳が処理して身体に指令を出す一連の働きには、機敏に反応できるようにショートカットが出来るという話を何かで聞いたことがあるけど、きっとそれに類するものなんだろうと思う。圭は僕を見てすごく悔しそうに言った。
「悠季、対戦しましょう!」


 それからというもの、かつて夕食後の団欒だった時間は熱い闘いの時間に変わった。圭は日を重ねるごとに着実に上手くなって、僕らの闘いはどうにか対戦と呼べるものになったけれど、やっぱり僕の敵ではなかった。
「ああ!僕はなんて不器用なんだっ! 悠季、もう一回です。もう一回やりましょう!」
 ―――はいはい。何度やっても結果は同じだと思うけどね。
「この音楽は実に巧妙に出来ています。まるでバカにしているように僕を煽る!」
 ―――うん、これはなかなか音楽家らしい発言かな?
「悠季、僕が勝ったら褒美にきみからキスをください」
 ―――そう来るか……。まあ、圭らしいと言えばらしいけどさ。
「……いいけど? でもキスなんて毎日飽きるほどしてるだろう?」
「飽きる? とんでもない!! きみはもしや僕とのキスに飽きてきたのですか!?」
「ま、まさか! 単なる言葉のアヤだよ。 判った。 きみが一回勝つ毎にキス一回ね」
 はぁ〜、あぶない、あぶない……。危うくヤブヘビになるところだった。
 密かに胸を撫で下ろし動悸が治まってくると、褒美のためにゲームをするのか?とか、僕が勝ったら何をくれるんだい?とか、そんな考えが浮かんだけれど。話が余計にややこしくなりそうなので言うのは止めておいた。でもそんな風に、たかがゲームにムキになっている圭は、正直なところ、とても可愛かった。
 子供の頃に誰もが経験するようなことを知らずに過ごしてきた圭は、僕と知り合ってから随分いろんなことを覚えたんだと思う。一緒にもう一度子供時代をやり直しているようなものなんだ。穴あきだらけのパズルをひとつひとつ埋めていくみたいに。だから出来る限り何にでも付き合ってやりたい。ポーカーフェイスの下で、僕にだけ判る《知ることの喜び》を見せる圭に、僕は何とも言えない愛しさを感じていた。純粋で一途で、見かけによらず実に子供っぽいところのあるこの男を、僕は一生の伴侶として丸ごと愛しているのだった。でも―――
 僕はヴァイオリニストを目指すスタートラインに立ったばかりだけれど、圭はもう立派にプロの指揮者としてやっていて。そんな僕たちは、楽曲の研究や練習など、目に見えないところで際限なく時間が必要な訳で、本当はこんなものに時間を割いてちゃいけない筈なんだ。だから程々にしなければ……と、そのことを告げると、圭は片眉をひょいっと上げて涼しい顔で答えた。
「気分転換です。いいストレス解消になるんですよ」
 そうして闘志剥き出しの燃える眼差しで、勝てもしない対戦を夜毎挑んでくるのだった。
 
 こんなに負けっぱなしでは、ストレス解消どころか逆にストレスが溜まるんじゃないか?との僕の心配は、思いがけない皺寄せとして僕を襲った。
 つまり、その……圭はゲームで負けた鬱憤を、ベッドの中で晴らすという暴挙に出たのだった。
 ゲームに時間を費やし、練習時間を減らさない為に夜更かしをし、更には執拗な閨での行為に時間を削られ―――しばらくの間、僕は睡眠不足と以前よりも酷くなった肩こりや腰痛とも闘う破目になったのだった。

ねえ、圭?僕のことを負けず嫌いで粘着質だと言うきみ。
でも僕に言わせると、きみも相当なものだと思うよ?



FINE
2006/1/5

フジミ初書き。まずはかる〜くジャブってことでバカ話です^^;
作中に出てくる懐かしいゲームは何だかお判りでしょうか? 実は我が家でも未だに一番人気のゲームです(ソフトだけじゃなくて人間も骨董品/笑)


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